校舎ブログ

センター試験の思い出

上石神井校|2011年12月17日

こんばんは。
岐阜では初雪。東京は・・・まだのようです。
でも、そろそろですね。だって、毎年いつも雪。センター試験が近いですから(今年は晴れるといいですけれど・・・)。

さて、センター試験の思い出を・・・と思ったのですが、良く考えたら、僕、センター試験を受けたことがありませんでした。
理由は、「上石神井ブログ」をご覧になっている方にはご存知だと思いますが、現役の時は2教科受験をしていたからです。

でも、「センタープレ」なら受けたことがあります。
ということで、「センター試験(プレテスト)の思い出」にしていいですかね。いいですよね。

センター試験プレテスト、1教科目、国語。
今でもよく覚えています。
国語の本文に、感動して、熱くなったのです。
そして、テストはあきらめて白紙で提出することにして、ひたすら何度も、本文を読み返していました。

以下、そのときの本文の一部引用です。

「私は人と交わる際、少なからぬ困惑を感ずるのだ。私はその理由をなす一つのキュウキョク的な私の性格を敢えて告げることにしよう。私には、無意味なほどに刺激され易い純潔の本能がある。だから私はどのやうな魂でも、それを身近に感ずる。その最も奥なる内面、その内臓に至るまで、生理的に感ずる。否、むしろ嗅ぎつけるのである。私はこのやうに刺激されやすい心理的触角をもってゐる。私はその触角のお蔭で、すべての魂の秘密に触れ、それを手に取って見るのである。かくて私は、多くの人々の根底にある隠された汚点、おそらくは賤劣な血にもとづき、ただ膏薬を張られた汚点をも、殆どその最初の接触によって、既にもう気づくのである。私が彼らをぢっと眺めると、私の純潔性が耐え難く感ずるそれらの人々は、彼らの方から、私が嘔気の用心をしてゐるのを感づく、しかしだからと云って、彼らの匂いが芳しくなりはしない。私にとっては極端な潔癖が私の生存の前提である。」

・・・いかがでしょうか。ちょっと読みにくくてすみません。でも、これ、すごい文章じゃないですか?
「私にとっては極端な潔癖が私の生存の前提である」
生存の前提・・・いま読み返しても、ちょっと、ぞっとします。
太宰文学のように、思春期の青年の心をわしづかみにするフレーズです。
そして、多くの青年と同じように、自分は太宰を読んで「僕は彼の生まれ変わりだ」と思った性質ですので、やはり、
「これが、僕だ!!」
と、テスト中に(心の中で)叫んだのです。(この問題文の作者は太宰ではありません。念のため。)

家に帰ると、まずテストのここの部分を切り取り、部屋に張りました。今も保存してありますよ。
↓↓↓

この体験以来、「国語」という授業に対する向き合い方が、変わりました。
「国語=すばらしい文章に出会えるチャンス」
になって、問題を解く際に、まず設問を無視して、本文を思いっきり味わうようになりました。
そのおかげかどうかわかりませんが、国語の偏差値は、現代文だけなら70近くとれるようになりました。

でも、国語に限らず、勉強はすべて、テスト以外の意味がいっぱい詰まってると思うのです。
理科は、世界の仕組みそのものだし、歴史は、ノンフィクションの過去です。
だから、よく考えたら、するなと言われてもやりたくなるのが、勉強の本質なんじゃないでしょうか。

今まさに受験と向き合っているみんなに、こんな理屈を感じる余裕はないと思うけれど、
たまにはほんの少し肩の力を抜いて、今自分がやっていることの「大いなる贅沢」を、感じられるといいなあと、思います。

上石神井校 校舎長   林 克洋