校舎ブログ

勉強の流儀Ⅳ 言語編

岐南校|2017年4月23日

私がHOMESの保護者様宛文書の管理をするようになって、もう8年くらいになります。

HOMES創設時期は、みんなで、ああでもない、こうでもない、という風に、精一杯恥ずかしくない文章に仕上げていました。いつしか私の担当という事になりました。結構プレッシャーでした。

ちなみに、私が担当するようになってからは、ある作家のある作品の文体をベースに作っております。

 

保護者様向けの文章の基本は、口語敬体文であり、丁寧で失礼がなく、柔らかい文章でなくてはいけません。

そうすると、ベースになるのは、芥川龍之介か宮沢賢治の児童文学作品に行き当たります。

これらの文体は、いわゆる東京山の手言葉が源流で、新しい口語敬体を確立しようと目指した鈴木三重吉らの運動に影響があります。

それに、私の文章感覚がこれらの作品の文体でできていたとも言えるでしょう。

もちろん現代に合わせた言葉遣いに「モダン化」しております。

 

日本語を母国語とする人は、必然的に日本語を駆使して頭の中で思考するのですが、ここでの言語感覚というものは、幼少期に触れた作品からと仮定できます。

もちろん、生きている以上、さまざまな文章に触れますので、その都度上書き保存されていき、その人の言語感覚が広がっていくのでしょう。

私は、本を読んだりするというのは、パソコンのOSのバージョンアップに似ていると捉えます。

言語処理能力が大きいと、それだけ、深く思考できるのです。

近未来に、ある人が使う会話やメールの文章をコンピューターにかけるだけで、その人がこれまで触れてきた本や文章、作家の影響がまたたく間に分かってしまう、そんなことも可能になるかもしれません。

だから、ある入試問題を完全理解して正解に至るためには、これとあれとそれを読めば満点できる、と、まるでコンピューターが将棋の手を攻略するように分析できるでしょう。

 

ずいぶん前になりますが、宮沢賢治特集のTV番組で、芸術家、とくに作詞家や映画監督、アニメ演出家、ミュージシャン、作家などが出てきて、いかに宮沢賢治の作品からインスピレーションをもらったか、を語りつくすというものを見たことがあります。

これなどの例は、言語だけでなく、芸術分野の創造でも同じことが言えると示唆しています。

 

現代の日本語が確立したのは、およそ100年前。

教科書に掲載されている不動の、漱石、鴎外、芥川、賢治などの文体が今も有効であるということは、日本語のベースは明治大正でほぼ完結したといっても良いと考えます。

子どもたちには、これらの作品群を10代のうちに血肉化してもらいたいです。

教科書に扱われている作品以外でも、けっこう前衛的なとんがった作品もありますので、ギャップも楽しんでもらえればなおいいです。

 

岐南校 奥村