校舎ブログ

勉強の流儀Ⅴ 算数編

岐南校|2017年6月10日

算数や数学はやはり敷居が高い教科なのだと思います。解いていて楽しい、と思える段階に至るまでの過程が他教科より断然長いのです。ですから、もう少し踏んばれば違う領域まで行って、そこからが楽しくなるのに、今、嫌いだと思わないで、と強く思うことがあります。どちらかというと学問よりも、茶道や能、禅などの方に相性があるように思います。よく言われる「守・破・離」の順番に習得していくべきものなのでしょう。

辞書から。

「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。

「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。

「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

 

学校の算数は「破」まで行けたら、もう楽しくなると思います。ちなみに、よく、計算問題は基本で文章題は応用などと分けられますが、計算問題にも基本と応用があり、文章題にも基本と応用があり、図形問題にも基本と応用があります。計算や文章題、図形の基本を忠実に、正確に早くシンプルに解くまでが「守」の段階です。「正確に早くシンプル」というのが禅に通ずるものだと思います。途中計算をきれいに書く、文章題の立式を思考の過程が分かるように書く、誰が見ても解く過程が分かる、ということから始まります。この段階では、自由な発想はなく、先行の解法をとにかく習得することが必要です。つまり「型」を付けなくてはいけません。この「型」がないと、次の「破」に行けません。「型」があるからこそ破ることができるのです。この「型」の構築ですが、始めはゆっくりと、だんだん速くするのがポイントです。最初から急かすと、上滑りな感じになります。余計に時間がかかるのです。その子が、理解できていない生半可なうちから結果を求めすぎるのは良くないのです。逆に構造が分かったら、そこは算数の世界は理論ですから、次から次へと演習をすれば良いことになります。ちなみに、構造を理解させるには、演繹法と帰納法があります。それを混ぜながら説明することもあります。算数が嫌いな子ほど、帰納法を使い、しかも実生活に根差した具体例を出すといいでしょう。

 

「型」が習得したらいよいよ「破」の段階です。計算問題なら暗算。文章題なら単純な立式ではすまない応用へ、図形ならさまざまな解法で何通りも解く、そういうことが必要です。「破」がなく「型」だけで終わってしまう子がいます。このような子は、あまり伸びません。真面目な子や言う事を聞きすぎる子に多いです。時には、真面目でないやり方というものも教えたり、時にはずるい、と思われるやり方も必要になります。いずれにしても「型」が体に染みついていないと、この段階にはいけません。しかし、「破」の領域に行くには、実はそれを後押しする指導者の存在もいるのです。

 

いろいろなやり方が楽しめるようになったら、いよいよ「離」の段階です。この段階は、たとえば少年時代のガウスの等差数列の解き方となどになると思います。ある単元が他の単元でもリンクできて、また高次元の領域まで見える、メタ認知として捉える、などなど。中島敦の「名人伝」ではありませんが、「弓の名人、もはや弓を忘れる」という段階までいけるかもしれません。…と、いうことは計算方法も公式も忘れることに。それだとだめですね。

 

岐南校 奥村