校舎ブログ

ラストチャンス

滋賀本部校|2017年8月10日

姉川が氾濫するという災害に見舞われた長浜ですが、

ここは無事に開放できました。

水がかかわることには、もう懲り懲りです。

 

校舎が移転して早2週間。

ようやくブログを綴る余裕も出てきました。

おかげさまで、この夏は多くの子どもたちに来ていただいております。

ここに移転して何が変わったのか。

まずはこれです。

IMG_3310

 

校舎に入口の扉ができました!

今までは浴衣を着た方々がよく校舎に出入りしていたものですが、

これでもうその心配はありません。

 

そして。

IMG_3313

 

ハイカウンターです。向かいのカフェと同じ椅子を使っています。

ここでコーヒーでも飲みながら仕事をすればはかどりそうですね。

 

旧校舎は既存の校舎の中でもかなり古い方だったので、

どちらかと言えば発足当初の内装を踏襲しておりました。

スチールを多用した無機質な感じだけれど、中身はあったかいみたいな。

そんな校舎が。

IMG_3311

 

斬新すぎます。赤と黄緑の壁にガラス張り。

まだまだ塾として認知されていませんが、

これからじっくりと浸透させていきたいです。

 

このままじゃ終われない。

「答え」なんてほんとはどこにもないけど。

 

滋賀本部校 宝蔵

 

 

展望録

滋賀本部校|2017年7月21日

今年はHOMESも10周年です。

おかげさまで、ここ滋賀本部校も8周年を迎えています。

さすがに老朽化が目に見えるようにもなってきました。

看板の電気は、ここ数年ほとんどついていません。

その修復を2015年に学院長に報告したところがすべての始まりでした。

 

学院長のご尽力のおかげもあり、新しい場所へと移ることが決まったのです。

すでにチラシやホームページにはイメージ画像が載っております。

滋賀本部校

と同時に、本日7月20日を持ちまして、この場所が滋賀本部校であるのも最後となりました。

質問カウンターが寝床になっていた日から始まって、今日でちょうど9年目です。

今までいろいろな生徒や講師に巡り会ってきました。

その方々に支えられてきたおかげで、今こうして次への準備ができております。

もう後ろは振り返りません。前を見るのみです。

次のところが私のラストステージとなるのでしょうか。

これは単なるリスタートではありません。

新たなるスタートです。

IMG_3299

 

滋賀本部校 宝蔵

 

 

 

 

 

回顧録⑧

滋賀本部校|2017年7月19日

新体制2年目となった2016年。

新しく入ってきた講師は0人でした。

得てしてこういう年は停滞するものですが。

高3生が例年以上に多く、今までで最も大学受験について深く考えていました。

それがこの年、4年ぶりの高校生の年越特訓につながったのだと思います。

みんなで「ああでもない、こうでもない」と話し合いを重ねた結果、

出来上がったものはやはり講師が主体となって輝けるような特訓。

4年前とはまたまったく違った形となりましたが、中3生も高3生も講師も大いに頑張ってくれたと思います。

学校では一般入試まで頑張る子は少なくても、ここでは一人でも頑張れる。

それは最後まで応援してくれた講師がいてくれたから。

中学生も高校生もギリギリまで追い詰められてからの逆転合格が過去最多になった年でした。

IMG_2921

 

そして、この受験生たちがこの校舎からの合格を果たした最後の代となるのです。

 

滋賀本部校 宝蔵

回顧録⑦

滋賀本部校|2017年7月15日

2015年は大きい変化のあった年でした。

それまで私は基本的には校舎を1人で開け、1人で閉めるという生活でした。

用を足しているときや見送りに行っているときに電話が鳴っていて

それに出られなかった回数は数えれば枚挙に暇がありません。

要するに常勤の社員が私1人だったわけです。

そんなところにもう1人、社員が加わったのです。

前年のテーマが「脱皮」だったのですが、私にとってはまさにこの年こそが脱皮でした。

 

その社員とは、私を絶望の淵から救ってくれた、あの男です。

すでに気心知れている間柄だったので、ここの運営は前年を超えるほどのスムーズさでした。

これまではいくら長く時間を共有してくれる講師でも、

長期休暇中に限定されていたり、仮にそうなってくれてもすでに4回生ですぐに卒業という、

私にとっては歯がゆくも何ともし難い状況でした。

それら積年の課題が、この年にすべて解消されたのです。

2013年とは違い、一生懸命やった結果がすぐに現れました。

気がつけば子どもたちの笑顔がこの校舎にあふれていたのです。

さらにこの年は次代を担う新しい講師も続々と入ってくれて

前年までとは様相が一変しました。

現在の滋賀本部校は、まさにこの年がベースになっています。

そして、この年の学院長へのある提案が後に大きい結果を生むことになるのです。

IMG_2347

 

滋賀本部校 宝蔵

 

回顧録⑥

滋賀本部校|2017年7月12日

2014年も熱くなるはずだった。

1点を先制したまではよかったが、まさかの逆転負け。

2006年を想起させるのに十分な結果・内容でした。

 

ここ滋賀エリアでは忘れられない出来事がありました。

 

実は私の赴任当時、野田先生から衝撃的なことを聞いていました。

岐阜の志門塾池田校とフロンティア―ドを組み合わせたような塾が近くにあると。

ここからだけは生徒が流れてこない、おそらく地元ではNo.1の塾だと聞いていました。

その後、私も実際にその勢いを目の当たりにしたことが多くあります。

最も顕著に体感したのがセンター試験の応援の時でした。

私の1年目の、生徒からの信頼を得られていない中での寂しい応援と、

一方で、その塾の職員の周りにどんどん笑顔で集まってくる生徒たちの膨大な人数。

そのあまりに対照的なコントラストは、なかなかお目にかかれるものではなかったかもしれません。

残念ながら、それが現実でした。ただただ悔しかった、圧倒されたという記憶しかありません。

その塾の名は…「峰学館」。

当時の周辺の中高生なら、その名を知らない子は少なかったと思います。

そんな塾が何とこの年、SHIMON GROUPと一緒になったのです。

最初は耳を疑いました。

他の塾と同じになる?

今までは失礼ながら敵だと思っていた方々と。

あそこまで圧倒的な差を見せつけられた方々と。

絶対に無理だと思いました。

最初こそギクシャク感がありましたが、今では強力な同志となってくれました。

 

校舎の方ではこの年、そんな峰学館の影響も手伝ってか、比較的順調に運営されておりました。

第二章の最終年というのもあり、この年も非常に頼もしい講師たちがそろっていました。

前年に現れた救世主に加え、もぬけの殻になっていた私を起こそうとしてくれた講師に、

柳津校から新しい風を吹き込んでくれた講師。

何かと第一章の講師たちと比べがちになってしまっていましたが、

この子たちも間違いなくここの歴史に名を刻んでくれた、私の大事な宝物です。

IMG_2143

 

滋賀本部校 宝蔵

回顧録⑤

滋賀本部校|2017年7月11日

第二章が幕を開けた2013年。

正直、卒業していった講師たちの穴は予想していたよりも大きく、苦しい船出となりました。

私自身も燃え尽きた感が半端なく、もぬけの殻のようになっていました。

当時、孤軍奮闘していた講師も看護の実習で1年近く離れることが決まっていました。

まさに弱り目に祟り目の状態だったのです。

 

そこに、すい星のごとく救世主が現れたのです。

それは意外な人物でした。ここの卒塾生とはいえ、現役当時はろくに挨拶もしない、

私とはもちろん、講師とも関わることはほとんどなかったような、そういう生徒でした。

とても当時は一緒に働くなどとは思ってもみない存在でした。

そんな男がここで働きたいと言い出すのです。私は訝しがりました。

しかし、彼が来てからというもの劇的に流れが良くなった、とまでは行きませんが、

明らかに潮目が変わりました。

この年のここでの受験生は史上最少でした。ただ、その半数以上が不合格になる可能性が高かったのです。

こんな状況で大量の不合格者まで出してしまっては塾として本当に終わる。

当時の私は、毎日そのプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。

彼がその思いを共有してくれるだけで、どれだけ助かったか。

彼もいっしょに闘ってくれたのです。当時の彼は、まさに私の戦友と呼ぶにふさわしかった。

 

あの時、お金に困った彼が校舎の窓を見てくれていなければ。

あの時、訝しがった私が彼を断っていれば。

あの年の奇跡の全員合格も、そして、今の滋賀本部校もなかったと私は断言できます。

IMG_1230

 

滋賀本部校 宝蔵

 

 

回顧録④

滋賀本部校|2017年7月8日

2012年は熱かった。

何が熱かったかって、それはロンドンオリンピックです。

初戦で優勝候補のスペインを破った時は驚きましたが、

もはやそれは「奇跡ではない」と言われていたところに、もっと驚きました。

 

ここ滋賀本部校でも思い出深いことが多かったです。

「包容」から続いて「向上」と銘打たれたこの年、私の中で勝手に集大成と位置付けていました。

開校4年目を迎え、同時に当初からの講師たちも4年目を迎え、卒業していくからです。

私にとって講師の初めての卒業生。

後悔することなく、限界まで子どもたちと関わってあげてほしい、

自分たちで主体的に動いてほしい、そういう思いを込めてこの年は私は努めて表に出ることをしませんでした。

彼らにとっては、自分たちの時間を削ってまでここで時間を過ごしていたわけなので

相当負担になっていたと思います。

時には来たくなかったり、イラッとすることもあったでしょう。

ひょっとすると、プライベートで関係がこじれたという話もあったかもしれません。

それでもあの子たちはやり遂げてくれました。

年越特訓も飾りつけから私立高校入試の分析まで、ほぼすべてをやってくれました。

そんな当時の講師たちも今では結婚していたり、再びHOMESに戻ってきてくれたりするのですから、

時の流れは尋常ではなく早いものです。

IMG_1136

 

初めてのぐじょっパ。あれは私の中で一生の宝物です。

こうしてめでたく第一章は幕を閉じたわけですが、これはほんの序章に過ぎなかったのです。

 

滋賀本部校 宝蔵

回顧録③

滋賀本部校|2017年7月6日

東日本大震災の起こった2011年。

当時、私は給湯室でコーヒーを淹れておりました。

 

この年は、私の中ではこの滋賀での生活の中で

小さくない変化があった年として刻まれております。

野田先生が再び大垣に拠点を移されるという出来事はありました。

ただ、赴任初年度ほどの不安に苛まれることはありませんでした。

私自身の慣れもありますが、何より講師の存在が大きかったように思います。

当時の講師たちも3年目を迎え、生徒対応や電話対応だけでなく、校舎全体に及ぶところまでを

考えてくれるようになっていました。

いえ、そんなことよりも私に適応してくれるようになったと言った方が正しいのかもしれません。

それまで頼られる存在だったものが、いつしか私の方が彼らを頼る側になっていたのです。

必ずしもそれが理想なのかは分かりませんが、この場所は講師たちが作っていくという色が強まりました。

自分たちで連携を取ってどこかへ出かけたり、岐阜の特訓にも精を出すなど、

そのパワーは校舎内にとどまることはありませんでした。

前年度のおかげで活気を呈した校舎は、講師の力でその勢いを持続させられました。

「この子たちがいれば安心だ」という確固たる自信が芽生えた年は、その後の大団円へとつながるのです。

IMG_0389

 

滋賀本部校 宝蔵

回顧録②

滋賀本部校|2017年7月4日

滋賀本部校2年目となった2010年。

開校に尽力してくれた講師が抜けたりすることがあったものの、

それ以上に大きい存在が来てくださることになりました。

 

野田先生が週に何度か顔を出してくださるようになったのです。

もともとは野田先生を慕って集まってくれた子が多いので、

皆さん大いに喜んでくれました。

それ以上に一番安心したのが私だったのかもしれません。

何もかもが手探りだった前年とは違い、何かあればすぐに相談できる存在がいてくださるのは

本当に心強かったです。

それ以上に、野田先生がちょっと保護者や生徒と話すだけで皆さん安心され、

さらに校舎の勢いが増しました。

初の年越特訓が開けたのも、この年です。

前年との大きい違いに、自分の力不足を痛感することとなりましたが、

この年は後に私を助けてくれる生徒が現れた年でもあったのです。

IMG_0061

 

滋賀本部校 宝蔵

 

回顧録①

滋賀本部校|2017年6月30日

 

以前にここでも綴らさせていただきましたが、今日は私の滋賀への赴任が決まった日です。

忘れもしない2009年の6月30日。

あの日が私のターニングポイントとなった日でした。

 

何も知らないままに来てしまい、最初はすべてのことに対して余裕がありませんでした。

岐阜で、わずかながら培った知恵も知識も、ここでは通用しませんでした。

至らぬ点へのご指摘も、この年が一番多かった気がします。

精神的に追い込まれることもありましたが、どこに行っても変わらない生徒たちの

素直さや当時の講師たちの頑張りのおかげで、何とか立ち直ることができました。

あの年、多くの高3生や中3生が全員合格できたのも、彼らのおかげだと思っています。

 

かつて志門塾長浜校で栄華を極めた野田先生が必死の思いで集めた生徒と講師たち+私。

うまく引き継げたのかどうかわからない、私の1年目の滋賀での旅は幕を閉じたのです。

 

滋賀本部校 宝蔵