校舎ブログ

連休?じゃあ、読め! の巻

岐南校|2017年4月28日

最近、異常に校舎の整理整頓をしている私。

岐南校の受付壁面には天井から床までド~ンと本棚がそなえられております。

本棚がたくさんあると、どんどん本がたまっていってしまいます。

辞書類、参考書類、図鑑、あやしい思想書 など。

子どもたちに読ませたい本も買ってしまい、本棚がいっぱいになってしまいました。

それで、連休前にちょっと本の整理しようと思ったら…

 

 

 

 

 

 

あ、

 

 

 

 

 

 

「どくとるマンボウ青春記」。

 

 

で、これ、ストックが十数冊。

…たしか、昨年の中3に読ませたっけ。

 

 

 

それで、全く興味示さんかったよな。

この学年、女子比率が高かったけ。

女子の共感ゼロ。

やっぱ、本は一律ではダメだな。

この名作をなんとしてでも読ませたい。(…本棚を整理したい。)

 

 

 

すると、ちょうど授業を終えた高2軍団がわらわらと教室から出てきましたよ。

このクラス、岐高中心とする、北高、加納の3高校だけのクラス。

しかも、全員男子。

もはや男子校。

というか、旧制高校っぽい。

ちょうど良かった。

この本の良さが分かるのは、諸君しかいない。

 

ウン、とりあえず読んどけ!

なんも言わずに読んどけ!

オンケルとか、パトスとか、ヒルさんとかの、

この世界観、分かるのは君たちだ!

 

おもむろに一人ずつ一冊渡す私。

ぜいたくじゃろ。

 

 

え?これ何すか?

 

 

な~んも、言わずに読んどけ。

連休中に読んどけ。

分かるから。

分かってほしいの。

ウン、今、読んどけ。

今しか、この本、読めないのよ。

ほいで、良かったら、松本に行って、旧制高校記念館、行って来い。

あそこは聖地じゃから。

 

岐南校 奥村

勉強の流儀Ⅳ 言語編

岐南校|2017年4月23日

私がHOMESの保護者様宛文書の管理をするようになって、もう8年くらいになります。

HOMES創設時期は、みんなで、ああでもない、こうでもない、という風に、精一杯恥ずかしくない文章に仕上げていました。いつしか私の担当という事になりました。結構プレッシャーでした。

ちなみに、私が担当するようになってからは、ある作家のある作品の文体をベースに作っております。

 

保護者様向けの文章の基本は、口語敬体文であり、丁寧で失礼がなく、柔らかい文章でなくてはいけません。

そうすると、ベースになるのは、芥川龍之介か宮沢賢治の児童文学作品に行き当たります。

これらの文体は、いわゆる東京山の手言葉が源流で、新しい口語敬体を確立しようと目指した鈴木三重吉らの運動に影響があります。

それに、私の文章感覚がこれらの作品の文体でできていたとも言えるでしょう。

もちろん現代に合わせた言葉遣いに「モダン化」しております。

 

例えていうならば、1930年代のアメリカのフォークシンガー、レッドベリーの曲を、90年代のニルヴァーナのカート・コバーンがカヴァーするようなもの、でしょうか。

ここで一首 〝フランネル の糸が舌に からみつき 九十年代 とほくなりにけり〟 (このくだり、脱線でした。)

 

日本語を母国語とする人は、必然的に日本語を駆使して頭の中で思考するのですが、ここでの言語感覚というものは、幼少期に触れた作品からと仮定できます。

もちろん、生きている以上、さまざまな文章に触れますので、その都度上書き保存されていき、その人の言語感覚が広がっていくのでしょう。

私は、本を読んだりするというのは、パソコンのOSのバージョンアップに似ていると捉えます。

言語処理能力が大きいと、それだけ、深く思考できるのです。

近未来に、ある人が使う会話やメールの文章をコンピューターにかけるだけで、その人がこれまで触れてきた本や文章、作家の影響がまたたく間に分かってしまう、そんなことも可能になるかもしれません。

だから、ある入試問題を完全理解して正解に至るためには、これとあれとそれを読めば満点できる、と、まるでコンピューターが将棋の手を攻略するように分析できるでしょう。

 

ずいぶん前になりますが、宮沢賢治特集のTV番組で、芸術家、とくに作詞家や映画監督、アニメ演出家、ミュージシャン、作家などが出てきて、いかに宮沢賢治の作品からインスピレーションをもらったか、を語りつくすというものを見たことがあります。

これなどの例は、言語だけでなく、芸術分野の創造でも同じことが言えると示唆しています。

 

現代の日本語は人工的に作られたものです。確立して、たかだか100年でしょう。

教科書に掲載されている不動の、漱石、鴎外、芥川、賢治などの文体が今も有効であるということは、日本語のベースは明治大正でほぼ完結したといっても良いと考えます。

子どもたちには、これらの作品群を10代のうちに血肉化してもらいたいです。

教科書に扱われている作品以外でも、けっこう前衛的なとんがった作品もありますので、ギャップも楽しんでもらえればなおいいです。

 

岐南校 奥村

勉強の流儀Ⅲ 歴史編

岐南校|2017年4月14日

中3歴史の講義で、日清日露戦争からの復習講義を行いました。

アジア情勢は、決して過去ではなく、現代史に至るまでのかなりホットな話題ですので、慎重に説明しました。

この曲も取り上げてみようと思います。

 

 

名曲には2種類あると思います。

一つは、誰もが口ずさみたくなる名曲であり、

もう一つは、歴史的名曲というものです。

前者は、時代を越えて愛され、普遍性があるもの、

後者は、その曲の完成度は言うまでもなく、その曲にまつわる周辺に数々の伝説があり、それは時代を経るごとにどんどん増殖していくというもの。私にとっては、ロバート・ジョンソンのブルースであり、マイルスの「カインド・オブ・ブルー」であり、ジミヘンの「モンタレー・ポップ」となります。日本では、やっぱりこのザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」。

1968年発表時、レーベルが東芝の子会社で、政治的な配慮から発売中止になりました。

幻の名曲として歌い継がれ、ようやく、34年を経た2002年になって正式に発表されました。

隔世の感があります。

カップリングがこれも名曲「悲しくてやりきれない」。

 

さて、歴史はよく「結局暗記しかないよね」とか「過ぎ去った事を勉強するよりも、これからの事の方が大事」などと耳にすることがあります。

そういう時、いわゆる素人の方が言われるのであれば、私はそっと流します。

しかし、自分が受け持つ塾生であれば、そうではないことを教え込みたいと思います。

 

歴史を勉強する上で、3つの観点があります。

まず、「歴史観」です。これは人の数ほどあります。

唯物史観、皇国史観、薩長史観、東京裁判史観、自虐史観、清張史観、司馬史観…。

人それぞれ歴史認識が違うのは当然のことで、そもそも歴史の見方には複数あるという前提を持つことが大切です。

 

次に「中心観」について。

大航海時代にスペインとポルトガルは、彼らだけで勝手に世界を二分しました。トリデシリャス条約・サラゴサ条約です。

大英帝国の全盛期にイギリスは本初子午線として経度0度をロンドンに引きました。

中国には中華思想など、国によって世界の中心があるのです。

「世界の中心で愛を叫ぶ」という作品では、主人公がラストシーンに行った場所は、オーストラリア、アボリジニの聖地「ウルル」でした。

つまり、世界の中心は、それぞれにあるわけです。

 

そして、「時間認識」。

エジプトの太陽暦、二十進法のマヤ暦、ユリウス暦、グレゴリオ暦、神武紀元、西暦、イスラム暦など。

時間のとらえ方もまた、文明や国によって違います。

また、古代・中世・近世・近代・現代などの時間軸。

どこを基準にするかで、歴史の解釈がまったく違うのです。

この時間軸は思考の上で伸縮自在に捉えることができます。

たとえば、「アメリカ・ファースト」という考え方。

実は、アメリカが世界外交を行った戦後の方が珍しく、モンロー主義と呼ばれる一国主義の方がアメリカの伝統なのです。

どこを時間軸の中心とするかで、捉え方が大きく変わります。

 

このように、歴史観、中心観、時間認識がそれぞれ違うのだということを感覚的に落とし込みます。。

最後にこれが大事ですが、歴史とは解釈論です。

事実とは別に、その事実に対して解釈の数は無限にあるのです。

 

それを説明するには、「石田三成」がもっとも適任でしょう。

1600年関ケ原の戦いで、西軍を率いた石田三成は、東軍の徳川家康に敗れました。

それ以降、江戸時代では、大謀反人として歴史に刻まれます。

明治以降も、まだだめでした。

昭和から平成になり、21世紀に入ると、徐々に石田三成は復権を果たします。

最後まで豊臣方に忠義を尽くした義に厚い武将、検地や刀狩を取り仕切った知将として。

昨今では石田三成役の俳優はスター級が務めたり、元々徳川幕府の譜代大名である井伊家のおひざ元の滋賀県がPR動画として三成をとりあげたり、江戸時代では考えられないくらいにイメージが変わったのです。

400年間で、この変わりよう、これが歴史の解釈のダイナミックな所です。

 

このような解釈をメタ認知として俯瞰できれば、現代のイスラム過激派の動きをはじめ、世界情勢の理解が加速的に増します。

多次元的思考法、この方法を身につけるのが歴史の勉強となります。

 

岐南校 奥村

勉強の流儀Ⅱ 筆記編

岐南校|2017年3月31日

私は字を書くことが苦痛でした。

塾の先生なのに自分の書いた字に自信がなかったのです。

黒板の板書にも自信がなく、あまりの下手さに板書したら、すぐ消してしまうこともあり、「板書をすぐ消す先生」と言われたこともあります。

これはこれで、みんな消される前に急いで書いてくれたことで、必死に授業を聞いてくれましたが。

字体も、それまでの自分の書体を捨て、篆書体、隷書体などいくつか試行錯誤しました。

 

小学4年生の時の担任だった先生は、昭和一桁生まれで戦後まもなくから先生をされている方でした。

その先生がよく好んで出す宿題は、「視写」でした。教科書の本文をとにかく書き写すという宿題です。

この宿題は、休みの前に出されたりするうえ、時間がかかり単調で面白くないので、クラスのみんなは嫌いでした。

私は、今思うとこの宿題は、書いて出すというアウトプットの作業であり、ごまかしが効かず、かつもっともシンプルで、クラスのレベル差も関係のない平等な課題であり、何より文体を習得する上で効果的であったと評価しています。

後年、「奥の細道」を視写する本を買ってなぞり書きするようになるとは、このころは思いもよりませんでした。

 

私は、長い文を書くと必ず手が疲れ、マメができました。

中学校に上がると「基礎学力テスト」なるものが実施されたときに、英単語を何百と書いて提出するという課題でも、私の苦痛は変わることがありませんでした。

ただし、読書感想文など自分の創造力を刺激する課題については、字を書く苦痛は不思議とありませんでした。

 

HOMES岐南校が開校した年に、私はHOMESが設定しているすべてのコマに入って、ほぼ一人で授業を受け持ちました。

単純に講師の数が足りなかったからです。

そのころ、授業報告書を書く制度があったのですが、すべてのコマに入っている私は、この報告書だけで100枚以上となりました。

SARASAの黒いボールペンでもすぐインクが切れてしまいました。

書く手がマメだらけになり、もうこれ以上書けない、という所まで追い詰められました。

そんな時に、ふとしたきっかけで「万年筆」に出会いました。

調べてみると、司法試験を受ける人は、膨大な論文を制限時間内で解くためには、ボールペンよりも万年筆でなければいけない、という事が分かりました。

万年筆の筆圧は、ボールペンの実に3分の1以下だからでした。

実際に書いてみると、非常に軽い力で書けるのです。

ちなみに愛好家の方は、良い万年筆を表現する時、「ぬらぬらと書ける」と表現します。

 

万年筆は10年以上書き続けると、その人の癖にあったペン先(ニブ)になりますが、すぐにそのような状態にしたかった私は、東京の大井町にある万年筆のペン先を削る職人の元を訪れました。

夏期講習の合間のお盆休みの暑い日に、探し歩きました。

やっと見つけた小さな工房で、その職人は、笑顔一つせず、「住所と氏名をここに書いてください」と言いました。

そのように従ったら、その人は私の書く手元をじっと見て、何やらメモ用紙で数値などを書き出しました。

おそらく、その数値をもとに私の手癖に合わせて、万年筆のペン先を削り出してくれるのでしょう。

「2週間後に送ります」と言われ、私は工房を後にしました。

 

届いた万年筆は、なるほどびっくりするくらい軽く書けるものになっており、もはやペン先の感覚が指に直結するようなものでした。

紙の上を走るペン先の微妙な振動がとても心地よいものでした。

字を書くという事は、本当はこういう事だったのだと初めて実感したのです。

以後、私は書くことが一つの楽しみになりました。

ちなみに「知る悲しみ」という言葉があります。

知ってしまったら、もうその前の状態に自分を戻すことができなくなる状態です。

でも、知らなかったことよりも、知ることのほうが幸せだと思います。

 

万年筆の事を調べていくうちに、持ち方も大事だという事が分かりました。

万年筆では、持ち方が悪いと、すぐペン先がダメになってしまいます。

そこから良い持ち方というのを調べてみました。

 

マメができたり、手が痛くなるのも、持ち方次第で改善できるのです。

下記の画像は、トンボ鉛筆のサイトにあるものです。

 

ちなみにこのように「正しく」持って書いている子は、私の校舎でも実は3分の1程度。

あと3分の1は、すこし我流が入っている、その子の癖が加味されているが、大方影響はないというグループ。

もう3分の1は、ほぼ我流で、字の書き方、スピード、姿勢などに影響が出ているグループ。

 

ここで、最後のグループの子たちは、私が見ていても、手が疲れるだろう、姿勢が無理になり肩が凝るだろう、長時間の筆記の勉強に耐えられないだろう、結果、勉強嫌いになるだろう、と想像します。

これまで見てきた子で、何人かの子たちに持ち方にこれ以上に問題がある子達がいましたが、学力の伸びに決定的な影響がありました。

しかし、その持ち方に慣れてしまった子にとって、いきなりの矯正は難しいものでした。

たとえ持ち方がひどくても、自然に矯正できるような声掛けをしていくことで、1年というスパンで直したこともありました。

 

説明をさせていただくと、まず親指、人差し指、中指の3点で持ちます。

ここで2点で持っている子は、非常に書くのが疲れることでしょう。

気を付けてほしいのは、3点で持っていればいいというわけでないのです。

鉛筆を親指と人差し指の付け根に触れさえることと、

手のひらの横の部分を机に接して書くのが一番バランスがいいのです。

つまり5点です。

5点あれば、力が無理なく分散されます。

手のひらに1枚のティッシュを丸めて薬指と小指で挟んで握ると正しい持ち方の感覚が分かります。

もう一つ注意することは、鉛筆の持つ位置です。

鉛筆削りで削られているところまで持ってしまっている子もよく見かけますが、これは無理な力を使っている場合があります。

削られていない所はもちろんですが、やや高めに持つ方が、軽い力で大きく書けるのです。

これは物理でいう「てこの原理」に似ています。

 

ちなみに「少林寺三十六房」という香港映画に、「棒の持ち方を少し変えただけで、敵をあっという間に倒す」シーンが出てきますが、まさにこれは、持ち方の場所を変えただけで効果が変わる良い例でしょう。

 

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春のこの季節は、新しい塾生が増える時期。

はじめて目にする、その子の鉛筆の持ち方、文房具の様子で、私はその子のこれまでの歩み、学習環境のバックボーンを想像するのです。

 

岐南校 奥村

 

勉強の流儀Ⅰ 志学編

岐南校|2017年3月27日

ひさかたの 光のどけき 春の日に

しづ心なく 花の散るらむ

紀友則

 

新年度 春期講習が始めるにあたって、あらためて学力を伸ばす条件というものを考えてみました。

新中学1年生の子たちを中心に、どんな人が学力を伸ばすことができると思う?の問いに、以下の答えがでてきました。

 

●計画が立てられる人

●勉強以外も頑張る人

●やると決めたら熱心にやる人

●人の話が聞ける人

●前向きな人

●性格が良い人

 

などなど。

分かってるじゃないの~。

言う事ありませんな。彼らの内に、すでに分かっていることで、こちらの愚問でした。

他に加えるとしたら、

岐南校開闢以来の一つの方針でもありますが、

 

●勉強を楽しめられる人

 

に限ります。

 

ソクラテスと孔子いわく、

「知らないのに知っているつもりでいる人よりも、知らない事があるという事を知っている人の方が偉く、

そして、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

と。

東洋西洋の合わせ技でした。

 

岐南校 奥村

岐南校スタパの日 の巻

岐南校|2017年3月18日

入試シーズンが終わり、春分を迎えます。

どれだけこの春の日を待ちのぞんだことか。

午後、静かな昼下がりでも、春休みの課題を持って勉強しに来る新高1生や、新高3生など、新たなスタートを切る子たちもいました。

 

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写真は、岐南校恒例 スタートパーティ 略称:スタパ

「ある終わりの瞬間は始まりの瞬間でもある。

それは刹那という時間をはさむ。」

 

新年度授業は3月21日から始まります。

またどんな一年が来ることでしょうか。

一期一会

 

岐南校 奥村

合掌土偶 の巻

岐南校|2017年3月5日

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公立高校入試直前期です。

本日は、歴史の文化史特別講義を。

縄文文化では、国宝「合掌土偶」を入れておきました。

五郎丸さんポーズの祈り!

彼は3,500年来祈りつづけています。

合格を祈ります。

 

岐南校 奥村

千畝の記憶 ポーランド編 から学ぶ近現代史 の巻

岐南校|2017年2月20日

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岐阜新聞の連載記事、杉原千畝さんの特集記事も、ついにポーランド編に入りました。

特に本日の5回目の記事は、よくここまで調べられたものだと感動しました。

 

第二次世界大戦中、ソ連の両側に国境を接する日本とポーランドとの間に、秘密の情報ルートがあったという記事でした。

そのルートの中核に杉原千畝さんが活躍していたのです。杉原さんはポーランドの亡命政府につながる情報将校とも頻繁に接触がありました。

この記事に、ほんの少し触れられていましたが、この時代よりさらに30年ほど前の日露戦争の頃にも、明石元次郎大佐の情報機関がポーランドなどの周辺国との情報ルートがありました。

 

近現代史の歴史をあつかう時に、杉原千畝さんを軸に話を進めると、一本の線として、イメージしやすくなります。

 

 

岐南校 奥村

 

シュタウフェンベルクとロマン主義 の巻

岐南校|2016年11月20日

HOMESの塾内情報誌「At HOMES」に、「人物伝」という連載記事を前号から書いております。

次号、冬期講習前に配付予定の26号には、「クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」をとりあげる予定です。

後日ホームページ上でも、「At HOMES」が掲載されますので、塾生ではない方にも、お読みいただけると思います。

画像検索結果

今回取り上げる人物と内容については、60分授業1コマ分の文量があります。

文章にする際に、掲載分の3倍くらいの文量から、削りに削って主要なところを残しましたので、ひょっとしたら言葉足らずになったかもしれません。

書いていて、どうしても彼の故郷であるドイツのバイエルン地方と、首都ベルリン周辺は、現地まで行って取材したいと思いました。

 

文章に起こしてから、子どもたちに分かるかな、と思って、お昼の時間をお借りして、志門塾岐南校の中3生に、彼の人物伝を講義してみました。

クラウス・フォン・シュタウフェンベルクは、1944年のナチス政権末期、ヒトラーに抵抗した英雄の一人です。

彼の生き方を通して、強調したかったのは、彼が10代の頃に傾倒したロマン主義思想についてでした。

難しい内容も含まれておりましたが、子どもたちは、本当に真剣に耳を傾けてくれ、手ごたえを感じました。

昨今の世界的な反知性主義を相対化するには、近代以前に世界中に影響をあたえたロマン主義の思想や文学、芸術に触れておくのは、とても有効なことだと思います。

ぜひ、お読みいただきたいです。

 

岐南校 奥村

 

略歴

1907年(0歳) ドイツ帝国・バイエルン王国に生まれる。伯爵家の出身。

1923年(15歳) 哲学者でロマン主義詩人、シュテファン・ゲオルゲに出会い、文学や詩など芸術に親しむ。

1926年(18歳) ワイマール共和国軍に入隊。音楽家や建築家を目指したが、悩んだ末、軍人の道に進む。

1930年(22歳) 騎兵学校を卒業し、将校になる。

1933年(25歳) ナチス党率いるヒトラーが政権を握る。ナチスのユダヤ人差別には強く反発する。この年に結婚。

1938年(30歳) ナチスがユダヤ人を弾圧した「水晶の夜」事件起こる。

1939年(31歳) ドイツがポーランド侵攻。第2次世界大戦勃発(ぼっぱつ)。ドイツ国防軍参謀本部に勤務。

1943年(35歳) 北アフリカ戦線チュニジアの装甲師団に配属。イギリス空軍機に撃たれ重傷。左目と右手、左手の指2本を失う。帰国、入院。入院中に、「黒いオーケストラ」と呼ばれる抵抗グループに加わる。

1944年(36歳) 6月 ヒトラーを倒すためのワルキューレ作戦を立案。

7月20日 7月20日事件 ワルキューレ作戦実行。会議中に、ヒトラーの近くに時限爆弾を置いて立ち去る。

首都ベルリンに戻り、ヒトラー死亡説を流し、クーデター決行。しかし、ヒトラーが生存していたために、作戦は失敗に終わる。

7月21日 深夜、反逆罪で逮捕され、即刻、銃殺刑に処される。彼の死後、家の財産はすべて没収され、妻と子ども達は強制収容所に送られる。

 

気球に乗って の巻

岐南校|2016年11月13日

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岐南校から車で10分の所にある、木曽川に近い川島公園で、気球を上げていました。

毎年、この季節に見られる光景です。

 

岐南校 奥村