梅雨の日の思い出 | HOMES個別指導学院
校舎ブログ

梅雨の日の思い出

上石神井校|2012年5月25日

5月も末ですね。

なんだか、ブログを楽しみにしていらっしゃる方がいるとお聞きして。
しかも「夏の日がよかった」とか、思い出シリーズをお気に召してらっしゃる方もいるとお聞きしたので。
5月末だから、「梅雨の日の思い出」を。(特に雨の物語ではないですが・・・。)

5月。

自分が、新聞配達をやめたのがちょうどこの頃。

以前にこのブログにも書いたのだけれど、2浪した自分は、その「ふがいなさ」「金銭的負担をかけることへのためらい」から、新聞配達を始めました。愛知に移り住み、住み込みでやってました。

そして、色々あって、どうしようもなく続けるのが苦しくなった頃、少しおかしくなっちゃって、逃げ出すようにやめることになりました。

お父さんと、お母さんが、迎えに来てくれた。

僕は、車の後部座席で、ひっそりずっと泣いてた。

自宅に戻った僕は、灰になった。
何もしない。
週に2回だけ、深夜にコンビニでバイト。
あとは、何もしない。

そんなある日、なぜだろう。
僕は「砂漠に行きたい」と猛烈に願った。

どうしても、砂しかない大地に、行きたかった。

そして僕は原付にまたがり、砂の大地に向かった。
・・・鳥取砂丘なんだけど(笑)

原付で、砂丘へ。
出発の前の晩、親父が、僕に、「どうしても生きるのが嫌になったら、お父さんとお母さんのことを思い出しなさい」と言った。

今思えば、送り出す両親も、結構な覚悟をしたのだろうと思う。

到着した砂の大地は、驚くほどに・・・観光地だった(笑)
海、すごく近いし、見渡せば民宿だし、ラクダレンタルしてるし。

多分、僕は、もっと現実感のない空間にいきたかったのだと思う。
でも、現実は、どこまでも、現実だった。

妙に、しらけた。

ふてくされて、ただじっと、座り込んでいた。

でも夜になると、少し様子が変わった。
寒くて、なんだか、もの悲しい。
とても、さびしい。

少し冷えた砂に寝そべり、僕は、ふつふつと湧き上がる感情を感じた。
「むなしさ」だった。

結局、こんな大冒険をしてみても、特になにも、起こらない。
地味に寒くて、帰るのがおっくうなだけ。
なんだか大げさな気持ちで原付に乗って、たどり着いたのが観光地で、そして、何も起こらない。
地味に寒くて、帰るのがおっくうなだけ。

とてもとても、とてもとても、悲しかった。

そして、どれだけ悲しんでも、何も、景色は、微動だにしない。
鳥取砂丘に来たのに、わざわざ原付で、たった一人で来たのに、何も、世界は、動かない。

何か大きなものに対して、あるいは何か小さなものに対して、絶望した気がした。

真夜中、岐阜への帰路は、恐ろしかった。
真夜中の運転は、恐ろしい。
道もわからない。どっちが北なのか、わからない。
田舎道を走らせる。暗い。暗い。
ただ、もう、早く家に帰りたくて、泣きべそかきながら、原付を走らせた。

それが、14年前の5月。

だからどうしたと言いたくなるような、特になにも起こらなかった思い出。

だけど、それなりになんだか大切な思い出。

月日は、積もる。

積もって積もって、埋もれ行く日々の中に、自分を作るかけらがある。

みんなの人生にとっての、良いかけらとなれるように。
自分は、子供たちと関わっていきたいです。

上石神井校 校舎長   林 克洋

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