考えてみると不思議なこと
彦根駅前校|2018年4月11日
今日は私の授業が無い日ですが、時間があるといろんなことを考えます。
皆の事だったり、これからどうするかという事だったり、あるいは「ご飯どうしよう」なんてことだったり。
そして時々、今まで当たり前だと思っていたことがなんだか不思議に思えてくることもあります。
たとえば、どこからどこまでが「自分」なのか、とか。
「なんかまたおかしなことを言いだしたぞ」と思うかもしれませんが、まあ落ち着いて。
生物として独立した個体に分離している部分が体としての自分だというのはわかりやすいですが、「生命」としての境目はあいまいな部分があると思います。
例えばお腹の中にいる時です。
赤ちゃんはお母さんの考えとは関係なしに動いていますね。お腹を内側からぽこっと蹴ったりします。超音波で見ると心臓も活動しているようです。一方でおかあさんとは「へその緒」でつながっています。このへその緒、どこまでがお母さんでどこまでが赤ちゃんなんでしょう?はっきり分けるのは難しそうですね。
少しさかのぼって生物が受精するときのことを考えてみましょう。「誕生」というと、今までなかったものが発生することです。しかし、受精卵のもととなる精細胞も卵細胞も生きています。すでに生きているもの同士がくっつくだけです。これは「新しく生命が誕生した」ことになるんでしょうか。
なんだか言葉遊びのようですが、突き詰めて考えると「親の代から生きている細胞が受け継がれているのだから別の存在として生まれていない、と言えるんじゃないか」なんていう、一見とんでもない答えもアリなんじゃないかと思えてきます。
ちなみに佛教では「不生不滅」といって、「生命は全てがどこかでつながっている一つの存在なのだから、誰も新しく生まれていないし、生まれていないのだから当然誰も死んでいない」のだそうです。
哲学や宗教や物理学って、とことん突き詰めようとすると、思ってもみないような、しかもどこか似通った結論が出てきて愉しいですね。
彦根駅前校 川口