読書週間2
上石神井校|2011年11月5日
読書週間が、もうすぐ終わります。
みなさん、本を購入(あるいは貸出)されましたでしょうか。
前回は穂村弘さんの本を紹介しましたが、今日は白石一文さんを紹介させてください。
白石一文さん、いいなあと思ってたら、直木賞とってしまいましたので、有名になってしまいました。
こういうときって、うれしいけれど、悔しい感じになりますよね。
「僕だけの白石さん」がメジャーになって、「みんなの白石さん」になっちゃう感じです。
個人的に、一番好きな作品は「僕の中の壊れてない部分」という本です。
そもそもタイトルが面白いですよね。ほとんど壊れてるってことですかね(笑)。
白石さんの作品の(個人的な)醍醐味の一つに、「やたら長いセリフ」があります。
会話文なんですけど、一回のセリフが、長いんです(笑)
何ページにもわたって、ある論理を力説してて、「ああ、なるほど」と思ったら、
すぐに反論が入って、それまた何ページにもわたるセリフなんです。
で、それがまたすごく説得力があって、結局一回目のセリフが全否定されちゃうんです。
つまり、一回目のながーいセリフで一度完全に読者を納得させておきながら、
それを全部否定しちゃうんですよ。
しかもですよ。
そのやりとりが、なんていうか、言葉遊びみたいな机上のものじゃなくて、
ものすごくリアリティのある哲学の応酬なんです。
「そこひっくりかえしちゃうの?」みたいな。
今、まさに、我々読者の、日々を生きる上での立脚点になっている部分を、ガンガン語るわけです。
推理物とかではないので、作品そのものに特にオチはないのですけど、一ページ一ページがクライマックスです。
一言一言の質量が大きいのです。
現代の作家で、これだけ「質量」のある言葉が書ける人は数少ないのではないかと思うのです。
・・・なんだか語ってしまいました。えらそうに書いておいてなんですが、自分、そんなに読書家ではありません。
でも、何も読書家にならなくてもいいと思うんです。
「読書家」って、かっこいい感じがしたり、「読書家」って、すごい気がしますけど、
でも、何も読書家にならなくてもいいと思うんです。
ただ、「読書家」に対する劣等感は、あれは、良くないものだと思うんです。
それこそ、不要なものだと思うのです。
だから、「たまには」読むべきだと、思うのです。
そして、「これいい!」って思える作家が、2,3人いればいいと、思うのです。
だって、好きな作家がいて、読書に夢中になる喜びを知れば、それを継続している人が「読書家」で、適度にたしなむのが自分、と思えば、劣等感、消えるじゃないですか。
結局、またその話です(笑)
そういうことばかり、昔から気にして、今も、気にしています。
まあ、つまり、そういうわけでして。
白石一文さんを、どうかよろしくお願いいたします(・・・中学生には難しいかも)。
上石神井校 校舎長 林克洋